2006年05月21日
■荻生徂徠
荻生徂徠は儒学者として有名である。しかし私はその詳細は調べていないが,いつか調べたい。私の知っている荻生徂徠は忠臣蔵に出てくる。
大石蔵之助以下47士が本懐を遂げた後,幕府は浪士の取扱いを決めかねていた。江戸の庶民や武士たちは当然拍手喝采であり,各藩から引き合いも多かった。時の将軍徳川綱吉(犬公方で有名)は,儒学者のアドバイザーである林○○の意見を聞き,浪士たちの名誉を守る方向で傾いていた。そうした時,荻生徂徠が「擬自律書」を提言したのである。内容は,情的には理解できるがこのまま放置すれば「法」がないがしろにされ,今後の御政道がゆがめられるというのである。
しかし綱吉は動かなかった。そこで荻生徂徠が言ったのは「今の47士であれば問題ないが,今後この中の誰かが事件をおこしたりすると47士全員の名誉が傷つけられる」という内容であった。それにも理があり,結局 47士は切腹を命じられることになってが,その儚さが 今なお 赤穂浪士が指示される結果となっている。
私が面白いと感じるのは,この原因を作ったのは,武家諸法度において「喧嘩両成敗」のルールがあるにもかかわらず,浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)だけを切腹させ,吉良上野介をお咎め無しとした綱吉の片手落ちの決定である。結局,荻生徂徠は最終的にその片手落ちをも是正したことになり,その先見の明はたいしたものである。