2007年08月14日

■子どもの挨拶

子どもに限らず最近の大人も挨拶ができない人が多い。と嘆く前に,挨拶してみることである。
挨拶は

したもの勝ち
である。特に子どもの前では親が意識的に挨拶したら,その軽快さと心地よさに気づき子どもも必ず実行するはずである。良い習慣は親が見本を見せるべきだ。

2006年11月05日

■子どもへの犯罪-03

確かにゲームの影響は大きいと思う。誰でも経験あると思うが,おかしな雑誌や本ばかり置いてある環境に何日か閉じ込められたら精神的にその影響が非常に大きくなる。
ゲームで簡単に人を殺したりリセットしたりしてばかりいたら,客観的に見たら否定されるが,その中にずっぽし入り込んだら やはり 簡単なものと勘違いしてしまう。
親はゲームがなかったら,子供同士の会話についていけなくていじめに遭うとか言って簡単にゲームを買ってしまう。例の東大の親は,ゲームを買わず我慢させ,中学になったらPCを買い与えたという。
実際は,友達の家に行ってゲームしていたらしいが,人の家だと 当然 時間的にダラダラできなくて必然的に節操のある時間配分となってしまう。完全に「ゲームを取上げる」のではなく,柔らかく「ゲームなんてするな」という制約で指導したのだ。子どももしたたかであり,そのしたたかさを認めてやればよい。

2006年11月04日

■子どもへの犯罪-02

あるBlogから
http://iitaihodai.spaces.live.com/Blog
/cns!3C789E689FE17309!126.entry

原因論に固執している日本が注目しているのが「ゲームの影響」だ。
以前、数件の小児犯罪の容疑者が家に暴力ゲームや同人誌を持っていた事から注目されたのだが、
果たして、彼らの犯罪は暴力ゲームが原因なのだろうか?

彼らの多くは社会的生活が得意ではない。積極的に外に出るタイプではないから家での遊びが主流になる。
刺激を求めて、より刺激的、反社会的なものへと興味が進む。
肉体的には正常な男子なのだから、恋愛系を好むだろう。ところがR指定でも恋愛系ゲームは「ふられる」
最近の作品は、成功するのに、かなり努力が必要だ。
彼らの思考は幼児性が強いので、このような否定的結末は受け入れられない。
そこで、自己の要求を満たす事が出来るものが、残虐ゲームなのだ。
残虐ゲームは自分も死んでしまう。しかしシチュエーション変化が少なければ次回は勝つ機会が多くなる。
勝利に余裕が出ると、負けた時の悔しさが残酷性となって勝ち方に表れてくる。
このようにして、ゲーマーの脳にはより残虐な勝ち方が刷り込まれていくのだ。

ところが、ゲームの販売件数と犯罪件数を見れば、ゲーム=犯罪原因でない事明白である。
ゲーム=犯罪原因が容認されるならば、ドライバー=交通犯罪者も容認されなければならない。
ところが、誰も車を運転するからといって交通犯罪者ではないし、ゲームをやっている者が全て犯罪予備軍ではないのだ。

犯罪の本当の原因は教育にあると思う。それも学校教育ではなく、家庭教育だ。
日本のアメリカ盲従は特に家庭教育にかなりの悪影響を与えている。

■子供への犯罪

今年に入ってから,子供を被害者となる犯罪が非常に増えてきている。
今,日本の国は少子高齢人口減少社会である。その解決策としての「こども」であるから非常に重要な存在であり,それに危害を加えるということは これは,反社会的な行動を言わざるを得ない。
だから,幼児,小児,子どもへの犯罪が厳罰に処すべきである。

2006年09月05日

■少子高齢人口減少社会

あるブロックから
10年前まで少子化高齢化社会が問題になっていたが,いよいよ現実的に少子高齢人口減少が社会問題となってしまった。それらの問題は予てより指摘されてきたが,政府の無策ゆえにそのままほったらかし担ってきた結果である。人口減少によってどのようなことがおきるのかは様々なメディアで取り上げられているが,本当に危機感をもって取上げられているように見えないところがなんだか悲しいというより滑稽だ。つまり,社会に対する意識が日本人には希薄なのである。

なんで,子供を産まなければならないのか,そんなことは議論の外にある。本能である。そういうと,埋めない人が肩身が狭くなる,なんて話も出てくる。ちょっと待ってくれ,それはもう50年程前の話じゃないか。今は みんな大らかになって義理の父母もそこまでは言わないだろうし,身体的に出産が難しい夫婦の場合はそれなりの思いやりをもって見守るべきである。しかし,生めるのに生まない夫婦は生んで育てる工夫をし,社会がその家族を見守る(経済的支援,精神的支援)ことのできる,そんな社会を築く道を考えるべきだろう。子供を生めよという強制力を発揮させるのではなく,生んだほうが楽しいよと思わせる社会,生まないから楽しめるじゃなく,生んだ苦労が楽しいよと言える社会を考えていくのがいいのだろうな。