HP作成,インターネット事業を模索中。
社会のいろんなテーマに興味を持ち多様な活動の中から社会的な問題を取上げる。
ネット技術で主として建築事務所に提携し,ユーザーの視点から独創的な指摘を行なう。
2007年08月14日
2006年11月05日
確かにゲームの影響は大きいと思う。誰でも経験あると思うが,おかしな雑誌や本ばかり置いてある環境に何日か閉じ込められたら精神的にその影響が非常に大きくなる。
ゲームで簡単に人を殺したりリセットしたりしてばかりいたら,客観的に見たら否定されるが,その中にずっぽし入り込んだら やはり 簡単なものと勘違いしてしまう。
親はゲームがなかったら,子供同士の会話についていけなくていじめに遭うとか言って簡単にゲームを買ってしまう。例の東大の親は,ゲームを買わず我慢させ,中学になったらPCを買い与えたという。
実際は,友達の家に行ってゲームしていたらしいが,人の家だと 当然 時間的にダラダラできなくて必然的に節操のある時間配分となってしまう。完全に「ゲームを取上げる」のではなく,柔らかく「ゲームなんてするな」という制約で指導したのだ。子どももしたたかであり,そのしたたかさを認めてやればよい。
2006年11月04日
あるBlogから
http://iitaihodai.spaces.live.com/Blog
/cns!3C789E689FE17309!126.entry
原因論に固執している日本が注目しているのが「ゲームの影響」だ。
以前、数件の小児犯罪の容疑者が家に暴力ゲームや同人誌を持っていた事から注目されたのだが、
果たして、彼らの犯罪は暴力ゲームが原因なのだろうか?
彼らの多くは社会的生活が得意ではない。積極的に外に出るタイプではないから家での遊びが主流になる。
刺激を求めて、より刺激的、反社会的なものへと興味が進む。
肉体的には正常な男子なのだから、恋愛系を好むだろう。ところがR指定でも恋愛系ゲームは「ふられる」
最近の作品は、成功するのに、かなり努力が必要だ。
彼らの思考は幼児性が強いので、このような否定的結末は受け入れられない。
そこで、自己の要求を満たす事が出来るものが、残虐ゲームなのだ。
残虐ゲームは自分も死んでしまう。しかしシチュエーション変化が少なければ次回は勝つ機会が多くなる。
勝利に余裕が出ると、負けた時の悔しさが残酷性となって勝ち方に表れてくる。
このようにして、ゲーマーの脳にはより残虐な勝ち方が刷り込まれていくのだ。
ところが、ゲームの販売件数と犯罪件数を見れば、ゲーム=犯罪原因でない事明白である。
ゲーム=犯罪原因が容認されるならば、ドライバー=交通犯罪者も容認されなければならない。
ところが、誰も車を運転するからといって交通犯罪者ではないし、ゲームをやっている者が全て犯罪予備軍ではないのだ。
犯罪の本当の原因は教育にあると思う。それも学校教育ではなく、家庭教育だ。
日本のアメリカ盲従は特に家庭教育にかなりの悪影響を与えている。
今年に入ってから,子供を被害者となる犯罪が非常に増えてきている。
今,日本の国は少子高齢人口減少社会である。その解決策としての「こども」であるから非常に重要な存在であり,それに危害を加えるということは これは,反社会的な行動を言わざるを得ない。
だから,幼児,小児,子どもへの犯罪が厳罰に処すべきである。
2006年11月03日
今年入社した人材に関して,友人と話したことだが,,,
最近の30歳前後の人材は,どうも責任感,継続性に乏しい気がする。何をやらせてもすべて自分の価値で完結してしまい,周囲への思いやりを持たない。たとえば専門職の力を持たないから手元として修行させる。修行ゆえにその上司も我慢して使う。やらせる内容も程度の低いものである。その状況を客観的に判断できずそれですべて自分の仕事を完結していると勘違いする。その勘違いを是正するために苦言を奏すると泣き出す始末,仕方なくノルマではなくじっくり取り掛かれる課題を与えると,いかにも学生が課題を提出するかのように未完成のものをじっくりと行い未完成のまま放置して我が生活に戻ろうとする。しかもそれに対して何の反省も無く充分であると考えている。以前の新人ならプロとして完成度を上げるために我が時間を犠牲にしてでも力をつけようと努力したものであるが,そんな気配は見られない。困ったものである。